昭和50年04月16日 春季大祭
お目出度う御座います。只今若先生が申しておりました、真の信心の内容とどこまでその内容に触れていけるか分かりませんけれども、私が斯く信ずるという真の信心を聞いていただきたいと思います。真の信心には必ず真の喜びが伴うものです。また真のおかげが必ず影のように伴うものです。ですから真の信心真の信心と言うても、心に喜びもなく、おかげも伴わないなら、是は矢張り考えなければいけないわけであります。
真の信心とは、なかなか容易な事ではありませんけれども、少しずつ真の信心に近づかせて頂くという、そういう信心姿勢を、一つ本気で頂かせて貰わなければならない。昨日の朝の私のお夢でしたけれども、ある人が明るいという字「明」という字ですね。日を書いて月と書くでしょう。それをね月の方を先に書いて、日を書いているんです。「そげなこっちゃ明るくはならんが」と私が言っておる所で目が覚めた。日を書いて月と書かなければならないそれが明るい。所が反対に書いてる。
反対に書いたんでは、明るいと言う事にはなりません。それと同じ様な事を、今朝からも私は頂いたことなんですけれども、誰かがこんなことを言っているんです。「あんたが財産目当てで養子に行っとるけん、こげな問題が起こるとよ」と言うて意見をしとるようなことでした。あんたが財産目当てで養子に来とるから、こういう問題が起きるんだ。難儀な問題が起きるんだと言うのです。
お互いがおかげを目当てに信心したら、必ず問題が起きます。おかげ目当てでは必ず問題が起こります。しかも問題がまた問題を生んで行きます。だからそう言う事ではなくて、真の信心は、問題がなくなるのです。いや問題ではないのです。みんなおかげです。そういう頂き方が、段々出来るようになると言う事が、私は真の信心だと思います。今日は朝からこうしたお湿りを頂いております。まぁ一つお湿りというものは、大変心が落ち着くもの、これに風でもありますと、また騒がしくなりますけれども。
こういうシトシトと降っておるお湿りの中に、今日のご祭事がめでたく奉仕されました。はぁ今日のお天気はにくじのお天気じゃった、と言う様な考え方ではおかげは受けられんのです。実は私今日のお湿りを頂いて、朝から心嬉しいという気が致します。昨夜前夜祭を奉仕させて頂きましてその後、富久信会という会が出来ております。「富久信会」というのは、ここで商売をなさっておられる方たちばかりの集いで御座います。いつも月の十五日に、昨日は丁度六十名余りの方が集まっておりました。
言うならば商売をさせて頂く。信心で商売をさせて頂くと言う事が、いつもテーマになるわけでございます。頂き終わったのが、十二時だったでしょうか済みましたのが。それから休ませて頂く前に、また明日のご大祭のことをお願いさせて頂いて休ませて頂いたんですけれどもその時に、私が神様から頂きましたことが、今川義元と織田信長の合戦は、何とかと言いましたね。「桶狭間」と頂いたんです。
それを頂いた途端に思わせて頂いたのですけれども、桶狭間の合戦というのは今申します、織田信長と今川義元の戦いです。それこそ子供と大人のような相違のあるのですから、理屈から言うたら勝つ事のできないはずの戦がです、織田信長が勝つことになってそれから、火の出の勢いで織田信長の天下になったわけでございます。それがねどう言う事かと言うと、雨に風まですさまじい天候だったと言う事ですね。それが今川義元の軍が、どうにも抜き差しできない様な羽目になる元になる。
そこに一挙に攻めかけたというのです。ですから普通から勝つと言う事が出来ない戦が勝つ事になったんです。私は思いました。はぁ明日は雨だなと思いました。そこで私どもがその雨を利用して勝たなければならない。私がもし今川義元であるならば、いうなら今日のご大祭を境に、首を切られた事になります。私が織田信長であるならば、今日のお祭りを境に、また一段と合楽の御比礼が輝くことでしょう。この雨を利用させて貰う。この雨に乗じてというおかげです。
もう今朝から本当に心嬉しいのです。それは「天地の事が自由になる」と仰せられるのですから、今日は総代さん方にちっとは責任がある。皆さん、このお湿りの中にですね、しるしいのにお参りをしてきたり、いや間にはまた本当にありがたいと思うて来たかも知れない。又ははぁ今日は憎じの雨だと思うたかもしれません。いやこれは、先生が間違うとったのじゃないかと思って参ってきた人があるかもしれません。
いつも総代さん方がご大祭のお届けをされる時に、いの一番に天候の事のお繰りあわせを願われるけれども、今度はその天候のお繰り合わせを頂く事を願わなかった。こっちはどうでんよか。それ以来久留米の市長さんが毎月月参り。月に一回夫人の同伴それから秘書の方が一人参って来ます。もう参ってくるたんびんに丁重になります。最近では市政のことまでも願うて行かれる様になりました。初めの間はただお礼参りが、段々信心が分かって来るに従って、本当な事になって行きよんなさるという感じです。
インターハイがあった時でした。愈々明日はその開会の日である。宮様がお見えになる。丁度私が四時の御祈念を下がらせて頂いておりましたら、市長さん方が一同で見えておると言う事です。もうその時分は四五日ずうっとシケ続けておりました。それであそこで愈々練習をしております人たちが、泥んこになって稽古をやっているのを近所のここにお参りしてくるご信者の方が、はぁ本当に気の毒だと思うてこれは市長さんに一つどうでんこうでん、合楽に参ってもらおうというてわざわざ電話ををかけられた。
市長さんこれでは折角久留米に、晴れのインターハイが開かれるのに、こんな状態のことじゃなんだから、合楽にお参りなさいませ、おかげ頂きますからお参りしなさいと言うて、その電話を受けてからお参りして来たと言う事。応接間でお茶でも差し上げながら、まぁいろいろお話をさせて頂きました。「先生、明日三時から、宮様がお出ましの時間だけでも結構ですから、お湿りが止むように、お天気になりますように」という願いでございました。それで私が申しました。
「この方の信心はおかげは受け得受け勝ちと言われるのですから、あの時は確か五日だったでしょうか、それに続いて久留米祭がございました。それで一週間なら一週間久留米祭りが終わるまで、お願いをなさったらどうですか」と私が申しました。「そんなお願いが出来るなら、一つお願いをして下さい」と言うて、一時間ばかりお話をしておる間に、今日のようなお湿りの状態で耳納山は雲に隠れておりました。一時間ばかりお話をしておる間に、耳納山が急きょ雲が上がってからお湿りがやんだんです。
「はぁもう御利益が始まった」と言うて市長さんが喜ばれました。おかげを頂いて一週間それこそ、その周辺は全部雨が降りました。この辺も土砂降りの日がありました。もう北も南もみんな降りましたけれども、久留米の旧市内のそこだけは降りませんでした。夕立の時期ですから、夕立が何回かありました。そして終わらせて頂いた夕方から、それこそ篠突く雨でございました。
それ以来久留米の色々な行事の時には必ずお参りになりますし、また同時に神様のありがたい事が段々分かられて選挙の事は勿論ですけれども、色々とご神意を頂いたりお願いをなさったりしてお参りになりました。と言う様にこの神様は天地が自由になるというほどしの神様なのですから、この辺で合楽の皆さんもです例えば降っても照っても有難いという、今日はにくじのお天気だと言う様な事ではなくて、それをそのまま合掌して受けられる信心が、成長しなければならない時期ではないかという風に思います。
間が抜けたというか色々とお願いはしたけれども、総代さんが天候の事だけには、うっかりしておった。まぁうっかりしとったかどうかは分らんけれどもね、確かにそうですけれども私は今日のお湿りを、大変に心嬉しゅう頂きました。 先日十日ぐらい前だったでしょうか、本郷教会の息子さんが鹿児島に布教に出ておられます。その安武先生がちょいちょい見えます。お話を聞いて下さったり私も聞かせて頂いたり、もう遅うでございましたから寝ておりました。
それでまぁ寝ながらお話を聞かせてもろうた。また寝ながらお話をさせて頂いた。そういう仲なのです。私と安武先生はその安武先生が、こう言う事を言っておられました。先日神愛会の時神愛会というのは、ここでお道の教師ばかりが集まって信心共励をする会でございます。宮野教会の若先生が見えとった。それで「安武先生、あんたにとって、金光教とはどういうことか」と私が質問したら、まぁ色々とそれに対して返事があっておった。ところが、僕にはお伺いなさらなかったが。
もしあの時先生が聞きなさったら、こう言おうと思うとったという話をいたしました。もぅ二十七か八でしょうけれども、まだ独身です。次々と奥さんの候補者が色々とありますけれども、まだ中々纏らない。だから僕の金光様、僕にとっての金光教というのは、例えば家内をもらわれない、女性よりも金光様だと言うのです。二十七の独身の、今から嫁さんをもろうてという、一つの一番の願いでなからなければなりませんけれども。例えば、その「女性よりも、私は金光教を取ります。
大事にいたします」と言うのです。私は驚きました。成程お道の信心は私の命ですと言う人はありますけれども。私の金光教は命以上の金光教だと言う事になるのじゃないでしょうか。若い美空の独身で、それでそりゃあ貰いたいのは一杯だけれども、どちらを取るかというならば、私は金光様の方を取ります。それが私にとっての金光教だと言おうと思いますと。すばらしい事をあんたは言うねというて聞きました。
色々と話が出ておりましたが、私どもの父が安武先生の話なんです、現在の教会長先生。安武先生がご晩年の頃「親先生、本当の金光様のご信心とは、ギリギリの所、どう言う事を頂いていったらよいでしょうか」と言うてお伺いをされたら、暫く御祈念をなさった。そして安武先生、先代の安武親先生が、ご子息である所の安武先生に、教えられた事は、「御神慮を悟って御神慮に沿い奉る事だ」と教えられたと言う事です。
金光様の御信心はおかげを頂くと、金光様の信心すりゃ商売繁盛すると、まぁ色々に御座いましょうけれども、金光様の信心のギリギリの所は、言うならば真の信心とは、御神慮を悟らせてもろうて、その御神慮に答え奉るというのでございます。親の心が分かり親の心に沿うて行きたいというのであります。素晴らしいけれども大変難しいことだなと言うて話しました。最近はそのことが頭から外れませんから、最近私のここ十日余りの御理解には、必ずそのお話が出てまいります。
御神慮を悟ると言う事。また御神慮に沿い奉ると言う事。最近の合楽では表行と言う事が撤廃されました。この頃から熊本から来ておりました修行生が、どんなに言うても断食をする。そげな事をするならいかんと言うけれども断食をする、やむにやまれんのです。そんなら、私の方の修行生としては駄目だと言うて帰しました。以前は合楽ではそう言う無期限の断食をしたり、滝の水を頂きに行ったり水行しておりますけれども、そう言う事で、よし神様が現れて下さり。
おかげを下さったに致しましても、断食をやめたらそれでおしまいなんだ。桜の花の信心より、梅の花の信心と仰せられますが、梅の花の信心とはそう言う事で霊徳を受ける。そして人が助かる。そう言う様な事ではその人が亡くなったら、後はさびれてしまう。それこそ桜の花のように、ぱぁっと信者はたくさん出来るかもしれんけれども、それでは本当のことではないと言うのです。
私が最近思わせて頂きますけれども、久留米の初代にしろ、甘木の安武先生にしろ、本当に素晴しい心行の大家でおありになったと言う事をこの頃感じます。甘木の信心は色々に言われます。天地の大恩天地の御恩徳、大恩を説かれての第一人者であると思いますけれども、そういう御信心が出来られるようになったのも、やはり先生のご心行からだと思うです。私はこの心行の深さ広さ、限りない事に最近驚いております。
例えばお風呂に入ります。いっぱい散らかして汚しとる。「どうしたろくそな入り方をするじゃろうか」と言うたら心行にはならんのです。また上がる時そういうろくそな、それこそ石鹸一つの使い方から、タオル一本の使い方からお水の使い方から、それこそ私が風呂から上がった時には、キチッとして後から入るもんが気持ちがよかろうと思う。後から入る者が極楽の気分に、なお一層極楽の気分が感じられるだろうと思う。だからそれがありがたい。私は心行とはそう言う事だと思うんです
。いつもそれで人が喜ぶようにと言う様な心がいつも使われておる。心行とは不平不足を言わぬこと。心行とは暑い寒いを言わぬことと、私は二十年前に頂いております。それがあまりにも漠然としておりましたけれども、最近愈々心行に取り組ませて頂きましたら、なるほど不平不足を言わんで済み、思わんで済む。思わんで済むと言う事なんかは素晴らしい事なんです。思わん所か返ってその事にお礼が言えれるような心の状態すら開けてくるのです。心行の賜です。
「日月の心」天地日月の心になる事肝要だと。また難しいけれども私どもが心行に、愈々本気に取り組ませて頂いたら、それが楽しゅう有難う出来てくると言う事に、この頃気付かせて頂きました。天の心は限りなく美しい心、与えて与えてやまない心無条件であると言う事。人が喜ぶように喜ぶようにと、例えば風呂の中に入ってからでも、便所に行ってからでも、そう言う事を考えて、又それを実行して出て来よる。
それがこげんしてして見せる。そして俺の通りにせよというのじゃないです。天の心とは、そういう限りなく美しい心が心行させて頂くようになって、分からせて頂くようになりました。成程不平不足は言う段じゃない、お礼の心すらが湧いてくる。地の心とはそれこそ黙って、受けて受けて受けぬく心なのであります。先日から御本部からの特使の先生が、私は知らなかった。けれども言うならば秘密で見えられたんですね。
一晩泊ってお出でられて、私の方の豊美の所の親戚と言った様な事で見えられたから、そうだとばっかり思うておった。後から聞かせて頂いたら九州地区では、ここへ状態を調査に見えた。翌る日に私は聞きましたが修行生の方たちに、そりゃもう色々根掘り葉掘り聞かれたそうです。おかしなことねと言いよったら、その後に聞いたのですけれども。共励会が幾つあるか、会はいくつあるか。共励会に行ったら、向こうで飲んだり食うたりのことやらしよらんかとか、そう言う事まで聞かれた。
翌る日求められますから、ここでの出版物を全部買うてお出でられました。それから翌朝帰られると言うので、お結界を下がって一緒にお食事をさせて貰った。茶の間で頂きましたが茶の間に見事ななすびの絵、軸がかかっております。そのなすびの軸に私が賛を書いておる。どう言う事を書いておるかというと「自然に溶けこむ事は、自然を生かす事です」と書いております。それに目が留ったんです。
「これはどなたがお書きになったんですか」「それは私が書きました」「なすびもあなたがお書きになったんですか」ななすびの絵が素晴らしかけんで、素晴らしいと思いなさったらしいです。私が金釘流で書いたんですががっかりしなさったごたるふうでしたけど、けれども先生、この内容が素晴らしいですねと言うて、手帳に書いていかれました。「自然に溶け込むことは自然を生かすことです」というのです。
どのような問題が起きてきても、その問題の中に溶け込んで行くのです。それから逃れようとか、外れようではなくて、その中に入って溶け込んで行くのです。例えば今日のご大祭にお湿りが降ったと言う事は、はぁにくじの事である、今日の雨はと言うたらもう溶け込んだ事にはならんのです。私が心嬉しいと言うておるその事が自然と溶け込んでおる事なのです。それは必ず自然を生かす事になるのです。
ここで成り行きを大切にする尊ぶと言う事は、そう言う事だと思います。全ての事に御の字を付けて御の字をつけて頂くと言う事になります時に、不平も不足もないと言う事になりますそれに徹する事。信心とは私は徹する事だと思います。昨日富久信会で久富正義さんと、高橋定利さんの信心が対照的ですから二人の話になりました。正義さんが発表しておられます。私は皆さんのように朝参り夜参りをしたいと思うけれども出来ない。一里位のとこですから、参ろうと思えば出来ん事はなかけれども出来ない。
けれども月に四回のお月次祭だけは、何回も生か死かと言う所を通らせて頂いて、おかげを頂いた。ある病気で今度は難しかろうごとひどかった。丁度正義さんがお供えしておる時計が、椛目のお広前に下がっておった。正義さんの事をお願いさせて貰いよったら、その時計に「忌中」と書いて紙が貼ってあった。もう今度ばかりは助かりきらんとじゃろうかと、なおまたお願いをさせて頂いて、言うならば時計のように、きちっとした信心ができるようになるならば、神様にそのことをお願いさせて頂いておりましたら、字でね「信士・紳士・神仕」と頂きました、もう二十四五何年前の話であります。
信士とはお位牌さんに何々信士と書くでしょう。あの信士です「信士」とこう。次には「紳士」です。英国紳士と言うでしょう。紳士の国だと言うでしょう「紳士」。それから次には「神仕」。神に仕えるという、この三つのどれを取るかと。私はお礼参拝して来た時に、そのことを申しました。信心がぐずぐずしておったら、それこそ信士になっても仕方がないところだけれども、まぁその時分が教会であったら、お道の教師になれと言うとったかも知れません。神仕とは神様に仕えると言う事。
ですから久富さんの心の中に頂き続けておることだろうけれども、神様に仕える。教師の資格でも取ろうかと言う事までは出来ませんけれども、せめて真ん中の紳士の生き方だけは身につけたいと、これは念願して今日までおかげを受けておる事だ。信心のある者でもない者でも、正義さんの事を悪う言う者はおりません。紳士ですから「あれどんは、信心はするばってんから、ろくな奴じゃなか」と言われる様な事ではいけないですけれどもね。やっぱり、ろくな奴でんおかげは頂けます。
まして「金光様の御信心をしござるけん、やっぱりあっちは違うばい」と言われるような信心を身につけていかなければいけませんが。それにはただおかげを目当てだけではない。財産目当ての養子では、必ず問題が悶着が起こってくる。おかげが目的であると、そう言う事になりますけれども、信心を頂くと言う事が目的であるならば、例えば相手の娘さんなら娘さんが素晴らしいから、養子に行ったというなら。
どういう難儀があっても苦労があっても、二人の夫婦の愛情というものは、愈々堅く強うなってその家を興し、または働く事の問題が問題でなくなってくるのですけれども、初めから財産が目当てだもんですからだから問題が起こる。そういう意味において正義さんは、そういう生き方をしてきたんだと思います。中々体が言う事きかん。朝参りをしようと思うても家内が「よかじゃんの」と言うたら、もうぺたっとなってしまう。そりゃそうですよ。おかげを頂くとですね、だいたいおかげを頂くと楽になりますよ。
それでその発表を聞かして頂いた後に、私が申しました事でしたけれども。私は月にたった四回それから、お伺い事やお願い事やらで、月のうち十日ぐらいはお参りをする。そして心の中では、あのように日参り夜参りなさっておられる人、本当に自分もそれを、そうありたいと思うけれども、おかげを頂いておる。その代わりにお月次祭は、ここは八時です。八時の御祈念。もう二十何年間、このお月次祭だけは欠かしたことがない。時間一分切った事がないと言う事を言っております。
親先生が御霊様へ八時から御祈念になる。お祭は八時半からであるけれども私は親先生が八時から、御霊様へのご挨拶があるからそれには間に合わせて頂くと言う事よりも、私どもの信心の同志であったり、先輩であった方たちがです亡くなられた、そういう御霊様たちに対してです、私はお祭りに間に合わないと言った様な事があっては相済まんと言うております。と思うて二十何年間八時十分か十五分前にはおかげを頂く。
私は神様から頂いておる事が、紳士と言う事を頂いておりますから、その真ん中を取っておるけれども、真似方なっとんおかげ頂かせにゃいかんと思うてから、それ以来先生方は沢山おりますけれども、お月次祭の夜だけは、右の御結界に座ってもろうて、御取次をさせて頂く御用をお願いしております。だから自分のこの事だけはという一念が、信心の姿勢というのは、自分の都合で参るとか、都合で信心をするというのであっては駄目です。それも一心発起して、人のように信心はできんけれども。
せめてお月次祭にお参りさせて頂くのですから、時間に一分でも切る様な事があってはならんと一心発起して、二十五年間続けておりますが。神様がおかげを下さいます。事業の方は段々おかげを頂いて、また次の新たな事業にも最近おかげを頂いておる。これだけはありがたいことです。たとえば人事の問題でも土建業をやっておりますから、人夫の方たちが、何時も出たり入ったりするけれども、人夫が減る時には、仕事の方が減ってくる。また、人夫が雇うてくれ雇うてくれという時には。
必ず大きな仕事が来るというほどしに、もうこの事だけには、不安もなからなければ心配もいたしません。神様のおかげが一事が万事、そのようなおかげを受けておるという。私がそれに反して、高橋さんの例をとりました。高橋さんはもうそれこそ、信心を始めて十四五年、二十年になるんじゃないでしょうか。合楽にお参りして見えて。今は九州圏下に、十個所からの支店を持っておられます。
従業員がお寿司屋さんですから、百名から居ります。それでいて例えば合楽合楽、とにかく用がある時には合楽に電話をかけたら、間違いないと言われるくらいに、御用にも打ち込んで信心も熱心で、考えただけでもとてもできません。福岡から毎日ですから御用がある時には、二回も三回も見えますから。そし、夜遅うなったら泊って行って、またあくる日まで、ここで総務の御用を頂いておりますから、御用が忙しいんです。
けれども私は昨日申しました。「高橋さん、あなたの信心は苦し紛れで信心しよるごたる気がする」と私が申しました。一番初めがそうだったんです。それがもしおかげになることあるなら、枯れ木に花よと人が言われる様な事を、どうでもおかげを頂かなければならない。一心発起一年間当時は単車でしたから、一年間単車でそれこそ降る日も雪の日も、それこそ霜の朝もお参りをしてまいりました。
雪の日なんか大変大雪の多い年でしたが、倒れ転びしながらある時には、居眠って他の所へ飛び込んで行くというような、ある時には事故に遭うと言う様な事もありましたけれども、やはり止めませんでした。そしてせめてそれがおかげになりました。枯れ木に花が咲いたんです。そこでお礼の印に何ヶ月間お参りをさせて頂くと言う事で御座いましたけれども。その何ヶ月間お礼のお参りをさせて頂いておるうちに、合楽の虜になったとでも申しましょうか。今日十何年間その信心が続いておる。
続いておるけれどもあんたの心の中を読ませて頂くと、正義さんほどしの確信を持ってない。正義さんほどに信心の喜びに浸り切らない。それはあんたが苦し紛れの信心からではなかろうか。そりゃ百人もの従業員の一家の生計がかかっておるのですから、矢張り気が気じゃない心配でもあるわけです。今朝からの御理解の中にもその事を申しましたことですけれども、どっちがどうと言えませんけれど、正義さんに私は申しました。あんたが月に四回のお月次祭が、しかも絶対の信絶対信が生まれて来てる。
おかげになると確信する。例えば御霊様に対してもです、先輩の御霊様方に対して、例えば時間どん遅うなる様な事では、親先生がご挨拶をなさる時に、自分がおらんようなことでは、御霊様方が淋しがられる相済まん。だから二十何年間時間も切った事はありません。必ず先生が御霊様にご挨拶される前には、こちらへ到着させて頂いて、お結界の御用を一時間余りですけれどもさせて頂くとこう言う。そこから生まれてくるもの、その体験が体験を生んでまいりますから、言うならば確信が段々出来てきた。
高橋さんの信心はそれこそ何十年間、福岡からとても人の真似の出来る事ではない信心をさせて頂いておるけれども。それはどこまでも苦し紛れだから、今自分が信心をやめたら、百人の者の生計はどうなるか。それを思えば矢張り参らなければおられない。眠い寒いなど言うていられないというのが、高橋さんあんたの信心ではなかろうかと言うて、話させて頂いたことでしたけれども。
例えば正義さんの信心は、自分でも言っておるように朝参りもしたい。皆さんのようにお参りもしたいけれども、月次祭の四日でも絶対おかげが頂けれる。自分の家の事だけじゃなく、自分の周辺にまでおかげになるという確信を持っておりますから、おかげも頂きますけれども。人間というものは弱いものです。もう別にあれこれ心配がなくなると、やはり心がやれやれになってくるのです。
まぁだ修行初めの頃にはそれこそ水垢離取ってお参りさせて頂いておった時代もあったけれども、最近ではそういうただ一途な、神様への向ける心というのが四日間「だから、正義さんその四日間を五日間にしていきなさい。六日間にしていきなさいそうすればそれだけ神様との交流というものは、交流するルートが広まる様な訳じゃないか」それは自分にも分かっておるけれども、言うならマイホーム的なおかげを頂いておりますと、それがやれやれになってしもうて、次の信心に飛躍する事が中々難しい。
そこで高橋さんの信心の例を取りますと、例えば本当に親先生が言う通りに、自分の信心は苦し紛れかもしれない。言うならば本当のおかげを目指しての信心と、まぁ言わなければおられないように、自分の心の中に感じる喜びの度合いというものが、正義さんに比較すると少ない。信心の喜びというものは、ただ我情我欲のために一生懸命お参りして、地団太踏むようにしてお願いをして、水をかぶって断食をしてお願いすりゃ言う事は聞いて下さる神様が。
だから言う事聞いて下さるおかげを頂く時には、一生このご恩は忘れませんというごとありがたいです。有難いけれどもそれが過ぎたら、また消えてなくなるのです。所がね真の道とか、真の信心と真の信心を目指させて頂くと言う事は、安武先生が言うておられますように、御神慮を悟らせてもろうて、御神慮に応え奉るという信心ができてくるのですから、神様がそれにお返しのように、心に喜びを与えて下ささらん筈がない。
その心の喜びに必ずおかげはいらんと言うても付いてくると言う様なおかげになって来なければならない。二人の信心を一つにすれば素晴らしいでしょうけれども、そんなわけにはいけん。そこで高橋さんが、そこの所の内容を頂いて行かれるようになり。正義さんが一段と、四日参りから五日参りになり、十日参りになリ毎日お参りさせてもらわなければおられない、家でじっとしてはおられない。
北野の中村さんがよくお話になりますように、聖人様のお話を聞きに、お話を頂いておる、毎日毎日お話を聞きに来るおじいさんがある。そこである日聖人様がね「美代吉つぁん美代吉つぁんあんたのように、そうもお参りをして来んでも」と言われた。「だいたいどのような信心が分かったのか」と尋ねた時に、美代吉つぁんが言われた。「落ちて行く先、それが地獄道であっても、その落ち行く先も、やはり阿弥陀如来様のお懐の中だと思うたら、不安はありません」と申し上げた。
「たとえ地獄の中であっても、やはり天地金乃神様の御守護の中にあるんだ」と言うのです。もう親鸞聖人様がビックリされた。「それほどしの境地を開いのなら、もういよいよお参りしてくることはいらんぞ」と言われた。そしたら美代吉つぁん、また答えて曰く、「聖人様親様あなた様が、日々このようにして、ご修行して下さっておることを思うたら、家にじっとしてはおられません」と申し上げたと言う事です。
お参りがただこれば貰わんならんけん、徳受けんならんけん力受けんならんけんだけじゃなくて、親様の御修行を思うたらもう家でじっとしては、寝てはおられないというほどしの信心が身に着いた時に、私はお道の信心の本当の、言うならば真の信心とはそういう信心を言うのだと思います。昨日一昨日でした。私が下がって二時から奉仕をします。ところが、昨日一昨日ばっかりは、何とはなしに早くここへ着きたいという気がしたから、十二時ちょっと過ぎにここに着きました。
ちょうど久富先生がここへ代わっておられた。それで久富先生の御取次を頂いて、そして、上野先生がその後交代しますから、上野先生と二人で一生懸命に話をしておられる。上野先生が「ほぅらあんたが助かる、こりゃもうあんたが助かる証拠よ」ち、「親先生がこんな時間に出て来なさることはないとに、出て来なさっただけでも、あんた助かったよ。救われたよ」と言っておる。何事だろうかと思った。所がね「私はねもうこの世に生きてはおられない」と言うのです。まだ若い方です。
今日もお参りしとられると思います。けれども、「これはもう死ななければおられないことになっておる」と言うのです。昨夜ある問題が起きてから、とにかくこのくらいの厚さの遺書を書きました。親にも子供にもまたその関係した人たちにも全部遺書を書いて、そして、書き終わってからふっと思ったのは、合楽の金光様のことであった。お父さんが医者は、もう助からんと言う病気で、その代わり朝の三時頃から、毎朝毎朝しっかり参って来ました。
おかげを頂いて医者がたまがるような退院のおかげを頂いて、今日元気なおかげを頂いております。そん時に一生懸命に参った時のことを、ふと思い出して、お参りをさせて頂いた。ところが親先生はおられん。久富先生そして上野先生の御取次を頂いたけれども、どうしても分らない。もう死を選ぶよりほかにはない。村内のあるややこしい問題「先生、私が聞かれたんですけれども、実はこういう話でございます。」
二十八年の大洪水の時でした。私の兄弟と母親が川に流されて、材木につかまって助けを求めた時に、そこにそれを見ておった人があった。その人との問題がです、今日起きておるわけです。ですからねそれが流れ流れて、水門の所までも流れて行ってから、初めて消防員の方たちのおかげで、二人とも命を頂いた。そん時に言うならば、見殺しにしたということで、自分方を恨んでござる恨んでござると向こうは思っちゃる。それがそういう一つの問題を起こしておるわけです。
だからようと聞きよると、結局死なにゃおられんというのは、その人たちの証を立てるためというよりも、皮肉に一つ死んでやろうといったような感じがあるんです。私は、まぁいろいろと話しましたけれども、あげんなった時には頭に入らないです。それで私が申しました。「あんたがね、魂の世界に」と言うと、「その魂の世界があるですか」と言うから、私はこの前の霊祭の時のお話をしました。
あのねこれはここの村の方です。奥さんが熱心に参ってくる。財産のことです。もう縁についておられる娘さん、その人がその財産を兄さん分けてくれだけなら良いけれど、まだ話は分かるけれども、こんな人に頼んでと言う様な人を立てて財産をよこせと言う事になっておった。御取次をさせて頂いた。勿論合楽に御神縁を頂いておる御霊様方がね、二十三日の霊祭には、おかげを頂くわけですけれども。
その朝にその奥さんが頂いておる夢がです、私を中心にして合楽のご信者さんが一杯、それから誰かは分からんけれども、自分のお爺さんを中心にした、これは御霊様たちだと思う人たちがいっぱい集まってです、会食をしておるお知らせを頂いた。ご飯を頂いておるというお知らせを頂いた。それで私が申しました。私が言いよるとが嘘じゃなかろうがの。言うならば、私と一緒にままになっておるということ。一緒に会食をしておるということは。それは、皆さん方の場合だってそうでしょう。
最近はそれこそ合楽におかげを頂いておる人の中に、段々貧争病の世界がなくなってきた。言うならば、貧乏する人がなくなってきた。争いのある家庭がなくなってきた。病気の家庭、もちろん薬箱すらもなくなったという家庭が、とみに増えておるということに、私は改めて驚いております。神様のおかげって、もうやっぱり十年二十年信心したら、それが当たり前なんだ。そういうおかげを頂いておる。それは私と一緒にままになっておるということではないでしょうか。
昨日も私は久富正義さんに、いろんな美術品です。入れておる蔵ができましたから、もう私は半年ぶりに初めて上がってみて、ようも集まったもんじゃあるなあと思うて、十幾つの部屋を全部、軸物からお着物調度品まで、替えるところは替えさせて頂いて、今日の大祭を頂きました。はぁ素晴らしいね、こりゃ何十万もするものだ。そういうものが、私が欲しいからというて、自分で求めたものは一つもないのだ。
言うならば、私は真善美の世界に住んでおる。貧争病だけではない、それがまた段々だから、合楽と言う所は、そういう極楽の世界のもう一つ向こうの合楽の世界。私と家内が私と嫁が子供たちが、言うならば拝み合うていけれる世界の一つの手本のような所だから、どこでもやっぱり素晴らしい調度品とか、素晴らしい置物が置いてある。目が楽しい。極楽とはこういう所じゃろうかと思われるくらいなおかげを示していかなければならない。皆さんに見てもろうて、聞いてもろうていかなければならない。
そして皆さんもこういうおかげを頂いてもらわなければならない。だからそこに発願する時に、私と同じようなものを頂きながら、会食させて頂いておるおかげの、お知らせを頂いた。御霊のお祭も手厚うできました。お供え物もお爺ちゃんの好きな物をというて、色々と心使うてお供えをなさいまして、お祭が済んだその翌日でした。その妹さんという兄弟がね、それこそ、涙を流してお詫びに見えたんです。
「もう昨夜は不思議なことがあってね。お爺ちゃんが枕元へ座って、兄弟仲ようしてくれよと言うて、くりくりしました」と言う。だから私が実はこれば見てから御霊様がござるとかござらんということは言えないじゃないの」と私が。まあだそういう例なら、合楽にはたくさんありよるです。それこそ救われとらんとが、この頃から幽霊屋敷までがあって、合楽のおかげで助かって、その村が大繁盛のおかげになってくる。あげな幽霊屋敷に入らっしゃった人は、どげな人じゃろうか。
合楽の金光様に参りござるげなと言うてです。もうそれこそ穏やかな大変裕福な村ですけれども、もうとにかく、毎朝五人、六人あちらの信者さん方が着いてくる。月に一回、共励会をするとそれこそ、村の中堅の方たちが集まって来て、お話を聞くというほどしに、おかげになってきておる。誰もそこは幽霊屋敷で十日と居りきった者はおらじゃったっじゃ。だから、そういうことを言うて、魂の世界があるのないのと言うて、例えばこの頃は、もう学問の上でもです。
言うならば、神霊科学と言った様なものが発達しておる。御霊と魂の世界と交流することすらができるようになった。幽霊の写真を撮るような事すらも出来るようになった。だから、魂の世界はあるよ。けれども自殺をした御霊は、まず絶対助からんばいと私が。この世で死んでさえ良かろばってん、あの世ではもっと苦しい事になるよと言うたらね、それこそ目を輝かして、涙を流しながら聞かれました。
「本当におかげを頂いて」と言う訳ですが、さぁほんにどげんなったじゃか、あげんにゃ言うたばってんから、帰りがけどこかへ飛び込まっさっしゃらじゃったじゃったじゃかと心配しよったら、昨日朝お礼に出て見えました。おかげでご飯もいける様になった、眠りもできる様になった。おかげで憑き物が落ちた様な。しかも今日はそんな事で、なすびの苗も放からがしとったから、そのなすびの苗の手入れをさせて頂く。
そうじゃそうじゃとにかく、一生懸命に御用に打ち込んでいる時には、何もかにも忘れるが、というておかげを頂いた。この方の道は、無常の風に時を嫌わすと仰る。私はみ教えというものは、成程無常の風というのを、向こうに追いやる働きがあると思いました。金光大神の道はね、だから無情ではなくて有情です。神情です金光様の御信心させて頂いておれば、本当に神ながらなおかげが受けられるのです。皆さんもご覧になった、楽人の中の、内田先生が、だいたい十三日に生まれななららん。
もう催しがあっとるとじゃ。今日はずっとオリモノがあっとるとじゃ。御取次を願ってから、この大祭が済むまではどうぞと言う事になった。産まれんならん時でも、都合が悪ければ、神様が引き止めてござる。お祭が済んでそれから病院に今送りました。そういう、あらたかな働きを表して下さる神様です。もうそれはね死ぬも生きるも、無常の風ではない、神風に送られて、あの世行きするのであり、神風に迎えられて出産のおかげを頂くのです、金光様の御信心は。
「この方の道は無常の風に時を嫌わす」と仰る。そういうおかげを頂きながら、お互いが、信心の焦点をです愈々真の信心に焦点をおいて、俺がつは真の信心なんと言わずに、もう本当に、負うた子にでも教えて貰いたいと言う様な、信心の姿勢が必要であると思います。そして分かったなら、そこにすっと進んで行けれるような信心。不思議です御神慮を悟らせて頂いたら、どんなに苦しいことがあっても、その苦しいことが有難くなってくるです。どこから湧いてくるか分らん元気が湧いてくるです。
私がまだ愈々ひどい修業をさせて頂いておる時に、福岡に借金払いに行かなきゃならんのが、それこそ十回二十回ならよかばってん、それが何十回となりますと、向うからまたしらごと言いげ来たのと言われよりました。借金の断りです。けれどもその頃から、神様から色々とお知らせを頂いておりましたから、神様がそれでも行けと。それは借金の断りと言うのは、こげん術ないことはないです。もう本当に貧より辛いものはないと言うが、本当にそうです。
私はその方の家のに行ってから、入りきらじゃったです。その家をグルグル何べんも何べんも回りよりました。金光様金光様と願いながら。そしてあの仏頂面を見なんならん、またえげつない事を言われんならんと思うたら、本当にそれは術ない思いでした。その日も、断りに行かなければならない。その時分バスを利用せずに、電車で大木から乗って参っとりました。そしたらその電車の停留所に、「今電車が行ったばの大坪さん」と言う人がおった。それは善導寺の教会の手前に、桶屋さんがおりました。
小川さんというて。ちょうど照国というお相撲が横綱を張っておる時分に三井町に参りました。その時に私は自分の子供を善導寺にいた時に、抱いて移ってもろうた。だからそのお礼に朝凪さんと言う所に、桶屋さんだから行くわけです。その時分はもう酒は買われんとだけれども、無理を言うて、そのよか酒を一本開けてもろうて、その照国に持って行った。所が朝から行っとるものですけん、ちぃっと位よかろうと言うごたる風で、段々呑んでたら一升飲んでしもうた。
と言う様な話からです。私は大坪さん今度相撲見げ行ってから、相撲取りの弟子どんやるものじゃなかばのち。三井町から一人今度弟子に行くげなが、親の心が解らんと言う。どうしてですかちゅうたら、もうそりゃこなすこつこなすこつ、とにかく土俵の上でね突き倒しちゃ引き起こし。もうあんまりきついものじゃけん、ごそごそ土俵の外へ出て行くそうです。それをひっ捕まえといてから土俵の真中へ連れてくる。
私はその話を聞かして頂きよったらね、もう本当に元気が湧いたです。こりゃぁとても神様が私をそれこそ、投げたり転がしたり、今しよんなさる所だなぁと思うたです。とてもね見込みもないとに、神様が鍛えなさる筈はなかと思うたです。これはとても私が末は大関か横綱になれる程しの、神様の見込みがあるからこその、こういう修行だと思うたら、今まで重い足が軽々とそれこそ元気な心で、何か銀行に金を預けげ行くごたる気持ちで行ったんです。もうそれっきりでした。
もう大坪さん来て頂かんでよか。もうあんたが白言ばっかり言いげ来んでもね、あんたがもし出来た時、払いに来てもらやあよかと言うて、それでおしまいでした。だからどういう場合であっても、御神慮を悟らせて頂いたら、喜びが湧いてくるです。元気が湧いてくるです。どうして私はこれだけ別に悪いこともせんとに、こげん難儀せんなんだろうかと、泣きの涙の時には、なかなかおかげは受けられません。
けれども小川さんのお話を聞かせて頂いた時に、私がその土俵の上でこなされておる相撲取りさんだと思わせて頂いた時に元気が湧いた。これは末は横綱か大関かと神様が見込んでござるからこそのこの修行であると思うたら、その事が有難うして有難うして。そして、借金の断りに行くのはそれっきりでした。勿論その後において払いもさせて頂きましたが。御神慮を悟ると言う事はそう言う事なんです。だからこげなつばい神慮と言うて聞かせて分かる事じゃなかです。
昨日その高橋さんがです「親先生私はこの頃、もうそれこそ一にも神様二にも神様で来たけれども、こうして十も支店ができて、忙しゅうなってきた。それでちいとばっかり、家の御用もさせて貰わにゃならん」と言うた。だからどういうふうに信心をさせて頂いたらよかろうと。そんな事私に言ったっちゃ分からん、自分で悟らにゃできんと言いながら申しました。「この頃亡くなりなさった平田さんはどげん言いなさったかの」と私が言うた。平田さんの信心は神公私。
神が一番公の公それが二番、私事というのは一番最後にするというわけなんです。所が合楽のはまちっと難しかですもんね、公がないです。例えば、町の何か役員でん言われたなら断りなさい。何でん断りなさい。今日も萩の市川さんが、その事をお伺いに見えた。「だから断んなさい。」「ことわられるじゃろうか」「神様にお願いしとくけん断りなさい」と言うて申した様な事でしたけれども、でなかったら信心の方が疎かになる。「そりゃしようごとして堪えんとが居るけん、そげんとにさせたがええがち。」
だからもう公がない私がない。一にも神様二にも神様、三にも神様という生き方を、私自身がたどってきておるから、皆さんにもやっぱりそういうきつい事になって来ますけれども。まあこれはそげん言うたけんち、ま一時辛抱せじゃこてじゃいかん。矢張り自分の中から、翻然としたものが生まれて来なければ、いうなら一心発起させて頂いて、誰が何と言うても、神様の事を第一に取るんだという。
それこそ正義さんの生き方じゃないけれども、それこそ一分だって遅れる様な事があってはならんと、二十数年間続いておるようにです。そこから私は確信というものが生まれてくる。いうなら今日私は真の信心という、その真の信心の様々な過程やらを聞いて頂いた積りで御座います。そんなら是が真の信心とは言えません。もっともっと私は生涯かけてこのことには取り組んでいかなければなりません。心行というのは確かにそうなんですから。それこそ一生が修行なのです。
けれども楽しいです。有難いです。こんな信心ば一生もせなんだろうかと言う様な事ではいかんです。愈々高橋さんじゃないけれども、それこそ苦し紛れに信心させて頂いておったけれども、二十年間お参りを続けさせて頂いたら、もうすでに合楽通いを止める訳にはいかないとと言う様に、言うならば信心辛抱の徳が身についたわけであります。その信心辛抱の徳が、その中にご神徳を頂いて行くと言う事。
信心をすれば誰でもご神徳が受けられると、御理解二節に教えておられます。所が、沢山のお道の信奉者はおりますけれども、そのお道の信奉者がです、それこそあの世にも持って行け、この世にも残しておけるというほどしの神徳を、誰でも受けられると言われるにもかかわらず、受けていないと言う事実があるじゃないか。そんなら教祖様は嘘を仰ったのかと言うと決してそうではない。
御理解三節に天地金乃神と申すことはと仰っておられます。天地金乃神様というお方はです。決してただ成程願う氏子におかげを授けと仰るけれども、その向こうには理解申して聞かせて、神と氏子とが一緒に、助かり合って行く道を取次げよという御教えが、第三節であります。天地金乃神と申す事はそういう神様なのです。私がここで合楽示現活動参画ということを申しましたら、随分あっちこっちから非難を受けました。
あんたは合楽の事ばっかり言うちからというけれども、私のお話を聞いて下さったら皆さんが、それを合点して下さいます。私は善導寺で善導を受けました。そしておかげを受けて、有難い勿体ないの信心が段々身に着くようになって、そして椛目と言う所に落ち着きました。椛目というのは、木へんに花と書いてあります。心に喜びの芽が出る所。その喜びを常に持ち続けさせて頂いて、常持であります。
ここまではねあらゆる宗教にも、ここまでは喜びを常に持ち続けると言う所までは、それは信仰の願いなのですから、そういう教えがちゃんとあるです心の中に喜びが湧いて来る様な。けれども教祖様はね常持に立ち止まっておるのではなく、只自分だけが極楽と言っておるのではなくてその自分が極楽のおかげを頂いておる。いうなら貧争病のない世界に住んでおるという自覚に立っておかげを受けておるなぁという自覚に立ってその自覚がまあだおかげを頂き足らんと思うとるからその自覚ができんのです。
思うてみたらみんなおかげです。その自覚に立たせて頂いて、合楽はもうそこに見えておるのですから、合楽の世界にゴールインであります。合楽とは神様と人間とが楽をし合う、拝み合うというのが合楽なのです。だから合楽という言葉を変えるわけにはいかんのです。今日のお祝詞の中にも、その事を申しましたがです、西岡先生が祝詞を作成して下さいましたから、読ませて頂いておるうちに、随分訂正させてもらった。
また私の信心も詠って頂いた。金光大神を表す。そして人を助ける事の働きにと言う所に、金光大神を表すというて、御取次成就信心生活運動が二十五年間続いたじゃないか。それで人を助ける働きになっていないと言う事実があるではないか。合楽で合楽示現活動に参画すると言う事が言い出される様になったら、それこそ目に見えてご信者が増えて行くではないか。合楽示現活動というのはです。いうならば示現とは神様が仏様が、不思議な働きを表すと言う事だそうです。
参画すると言う事は、預からせて頂くと言う事だそうです。そういう働きに私も預からせて下さいと願うわけなんです。私の信心に賛同して下さって、手続きでもないけれども、関係教会に、また一段新たな働きが起きておるという事実があるのです。ですから御取次成就信心生活運動の内容として、合楽示現活動に参画させてもらう運命共同体を説きました。自由にして創造的であるという信心がそれこそ。
教主様が先教主様が仰っておられるように、全教一心して全教一家の実をあげよと言うておられる。その実が挙がっていないじゃないか。全教一家じゃないじゃないか。そういう実が挙がっていくことのためにもです。本気で私どもは真の信心を求めていかなければなりません。真の信心には、必ず喜びが伴うてくる。その喜びには要らんと言うても、おかげが伴うてくる。
そこまで信心を高めていくと言う事がです。限りなくしかもその信心を続けて行くおかげを頂きたいと思うのでございます。今日はそれこそお湿りの中に、ゆっくりお話を聞いて頂いた。また目が薄うして分からん。今川義元ですね桶狭間の合戦。だから私がひょっとすりゃ、今日のお祭りを境に柴田勝家じゃなかった、今川義元になって首になるかも分からんのです。そんなお知らせを頂いたです。
だから私は昨日の前夜祭は、きつうしてきつうして応えん。話もしようごとなかったと申しました皆さんに。けれども富久信会に出らせて頂いて、皆さんの元気な話を聞かせて頂きよったら、どっからか分からん、生き生きとした心が湧いてきて、今朝はそれこそ何時もの様に、三時半には目覚ましのおかげを頂いて、そして四時の御祈念を奉仕させて頂いて、皆さんにも、元気な御理解を聞いて頂く事が出来たんです。
ですからそういう生き生きとした心を以って、今川義元ではない織田信長のおかげを頂かして貰わねばならん。それには皆さんの信心も繋がっておる事でございますから。今日のお湿りは、そういう意味で大変な有り難いお湿りであったと思います。このお湿りを利用して、このお湿りを、一つのおかげを頂くチャンスにしておかげを頂いて頂きたいと思います。
どうぞ。